―ヒトリヨガリ―








僕こと遠藤 昴は今年で18歳を迎える高校生だ。何のことないただの高校生、得意な科目は理科(天体)、体を動かすことは好きだ。でも、喧嘩なんてやったこともないし、やりたいとも思わない。喧嘩なんて僕のような人間がやるものじゃない。そう思ってるからだ。
 だから、別に不良に絡まれている女の子を見ても、助けたいなんて思っていない。思ったとしても、僕が助ける義理はない。
「…」
 一度目があったが直ぐにその目を避け地面に向け早足で繁華街を抜ける。この時間の繁華街は居て楽しいなんて思わない。だって、野蛮な馬鹿どもばかりだからだ。
 そんな馬鹿に絡まれて限り有る時間を、喧嘩に使うなんてナンセンスだ。そんなの馬鹿がやることだ。県下でもトップクラスの浅黄学園に在籍する僕がやることじゃない。僕はお前たちとは違うのだ。僕はお前たちより偉い人間になるのだ。こんな場所で喧嘩したり彼女といちゃいちゃしている馬鹿とは違う。僕はそんな事に時間を費やすような男ではない。
 未来を見据えた生き方をしているのだ。
 だから決して彼女といちゃいちゃするギャル男を見て羨ましいなんてこれっぽちも、1アトムも思っていない。
 僕はこれから受験勉強をするのだ。いや、一年前だってそう言っていたが、いや一年前からしているけど、だから僕はお前たちのように時間を棄てるような生き方はしない。
 だから―――
「すいません」
「おぃおぃ、どうしてくれんだよ」
 だから、不意に歩道に飛び出してきた男と勢いよくぶつかったのは、僕のせいじゃない。
「すいません、前方不注意でした」
「服びちょびちょじゃねぇかよ」
 しかもぶつかった男がそのまま後ろの水溜りに突っ込むとは思わなかった。
「すいません」
「だぁからぁ、よ!!」
 胸倉を掴まれ持ち上げられる。
 なんでこんなことになったのだろうか。
「誠意はいいんだよ。クリーニング代くらいは出してくれんだろ?」
「…は、はい」
 別に怖気づいたわけじゃない。
 この場をなるべく穏便になるだけ平穏に済ませたかったのだ。
 限り有る時間は有効に使わなければもったいない。
 ポケットから財布を取り出す。だからこの震える手はたぶん錯覚だ。怖気づいたりしていない。だって僕は至って冷静だからだ。なんたって僕は頭がいいからね。だから冷静で居られるんだ。だから震える足も唇も喉も手も全部、全て錯覚だ。わかってる。
「ど、どうぞ」
 財布を男に渡す。たぶん3万程度は入っているはずだ。さっき銀行からおろしてきたばかりだから間違いない。
 お金を取られることに関しては腹正しいが、無駄な時間を素早く終わらせるために必要なので、これは未来への投資だ。この時の3万円が未来に大きな布石となるのだ。
「わかってん」
 渡そうとした手が細く白い手に止まられた。
「それならどうぞ」
 割って入ってきた少女を知っている。知り合いだ。
 彼女はそう言って、手に持っている福沢諭吉5枚を差し出した。
 それを見て男は怪訝そうに彼女を睨み、まるで確かめるみたいに僕の方を覗き込む。
「…」
 無言のまま男はその五枚を奪い取ると、彼女をもう一度一瞥し、まるで面白くないと言わんばかりに唾を吐き、去っていった。
「大丈夫ですか?昴様」
 そっと彼女の手が僕の手に触れた。
 瞬間、彼女の手を振り払っていた。
「触るな!どうせ心の底で笑ってるんだろ!僕が弱いから!」
 突然、そんな言葉がついて出た。心に溜まるどす黒い思いを吐き出すみたいに、僕は彼女に叫んだ。
「あの選択は間違ってなかった!あれが最善だった。僕にとって、僕の人生にとってあれがベストだった。笑うなよ!」
 彼女が笑っているように見えた。まるで、心の底で僕を蔑んでいるようで、嘲笑しているようでならなかったからだ。
「お前だって金で解決しただろ?ほら、僕は間違ってないだろ!」
 僕は今、何を言っているのだろう。ただ心のままに叫んでいるような気がする。ただ自分が間違っているなんて思いたくなかった。昔から僕は負けを、間違いを認めたくない人間なのだ。
 パタンと彼女の手から蛇柄の長財布が落っこちた。
「あ…」
 彼女はこんな財布は使わない。彼女は男物の黒い財布を使っているはずだ。女の子っぽくない、男臭い革の財布だ。そして今彼女の手から落っこちたのは蛇柄の長財布、余りにも違う。見間違う要素など何処にもない。別の、別の人の財布だった。
「…」
「すいません」
 そう言って彼女はその長財布を手に取る。
 わかっている。わかってしまった。今の一瞬で、その一瞬でその財布が誰のかを、その財布は―――
「この財布は…あの男のものです。昴様と話している隙に拝借したのですが」
 そう、その財布からさっきの五万円を拝借しだのだろう。余りにもわかっていた。何か裏があると、彼女は、彼女は僕みたいに…弱くは、ないのだから。彼女ならあんな男、一瞬でのしてしまうのだから、だからわかっていた。
「…」
 何か言ってやりたかった。でも何も言えなかった。彼女の持っている蛇柄の長財布を奪い取り、シャッターの閉まった店に投げつける。
「くそ」
 小さく毒づくことしか僕には出来なかった。僕は何をしているんだ。
 無駄に大きなプライドが邪魔して、ありがとうも何の感謝の言葉も口をついて出ることはなかった。ただ彼女から逃げるみたいに家路につく僕の姿だけがそこにはあった。


<行間>


 昼休み誰もが食堂に行く中、僕とほんの数人の生徒だけが教室に残っていた。
「ダメだ…」
 学校の机に突っ伏して窓から見える空を眺める。幸い僕の席は窓側にあるので外の風景を見るにとてもよい位置なのだ。夏の空、広い海原のような青い空に、大きな入道雲が浮かんでいる。それはさながら海原と大きな島のように見える。そこに一羽の雀が横切る。それはたぶん海原を行く船だろう。
 僕は何を考えてるんだろうか
「はぁ」
 ため息をつきながら首から提げてるネックレスを手に取る。小さな女の子の指が入るだろう位の指輪が目に付く。
 祖母の形見だ。小さな、本当に小さなダイヤモンドがくすんでいるのがわかる。
 昔昔これを貰った当初は指に入ったのになぁ。
「何見てんだ?」
「・・・あ」
「また指輪か・・お前ってほんと考えるのが好きなのな」
「考えてないと、何か不安なんだよ」
「何の強迫観念だよ」
 そう言って僕の前の椅子を拝借し僕の前に座る眼鏡の同級生A、ではなく、萩原 雄一郎、この三年A組の委員長だ。そして生徒会執行部 副会長にして萩原空手道場の師範であり同人サークル『Gァ電』の『YOU1』、という人の形をした肩書き人間だ。ついでに『Gァ電』の読みはガーデンらしい。
 そんな何でもするし何でも知ってる、言いたくは無いが、僕が唯一認める『天才』という種類の人間だ。常にクラストップ、学年トップを地で行き、短距離走、長距離走共に学年でもトップクラス(それで一時期陸上部に熱い勧誘を受け続けられた)そんな何させても出来る人間なのだ。気さくな人柄で世話焼き、誰でも分け隔てなく接する人間性、喧嘩だって強い。天賦の才、傑物、神童、どの言葉も彼に当てはまる気がした。
 そんな萩原は僕とは三年の付き合いになる。1年の時も2年の時もそして今の3年の時も萩原とは同じクラスなのだ。僕の数少ない友人の一人だ。
「ほんとよく考えてられるよ。お前は」
「僕は常に思考していないと気がすまないんだ」
「だから、ネガティブなんだよ。俺みたいにポジティブに生きてみろよ。そしてら世界変わるかもよ?案外、人ってのは簡単に変われるもんだ。変わった後は努力に努力だろうけどな」
 努力、こいつが言うと本当に薄い言葉になる。萩原は努力をまったくしない人間だ。努力するぐらいなら死ぬ、とか抜かす人間だ。この二年と数ヶ月、萩原が努力をしたところなど見たことがない。いや、萩原には僕らの努力というモノは努力の範囲に入らないのだろう。考え方から違うのだ。僕と萩原、凡人と天才、頭だけが良かった僕と頭も運動も出来る萩原、友達が少ないのと友達が大勢と、比較するだけで馬鹿らしい。
 そう萩原 雄一郎を一言で纏めるなら、『規格外』だろう。
「お前と僕を一緒にすることが間違ってるんだよ。僕はいつでもポジティブシンキングなんてできないね。そんなの現実から逃げてるだけじゃないか」
「現実逃避は必要だと思うぞ。三次元より二次元みたいなさ。大人になるのってはたぶんうまく現実逃避出来るようになっていくことじゃねぇ?」
「それなら僕は大人になりたくないね。子供のままでいい」
「今日も一段と捻くれてるねぇ、ほんと」
「捻くれてなんかいないよ。ただ・・・」
「ただ?」
「あー!何でもない」
「へぇ、そう」
「何でもないって」
「わかってるよ」
「だから萩原何でもないって!」
「わかっとるわ!」
「ならどっか行け。僕は一人で考えたいんだよ」
「了解だよ。ほんとお前って一人でいるの好きだよな」
「孤独主義者なのさ」
「・・・っは、そうかい、俺はたぶん図書室で漫画読んでると思うからよ」
「誰も聞いてないよ」
 ひらひらと、僕は萩原に向け手を少し振り再び空を見上げる。
 いつの間にか入道雲は大きく広がり街の空を飲み込んでいた。さながら青色の上に灰色を溶かしたみたいに灰色が広がっていく。混ざることなく、相反するようにそれは水と油、そんな感じだ。
 雨、降るのだろうか、傘持ってきてないのにな。
「たぶん夕立だろうけど」
 一人そう呟くと僕は服の中に指輪をしまい込む。大切な大切な指輪なのだ。失くしてはいけない。これは約束の指輪なのだから。








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